☆創立100年史 資料収集にご協力を☆

私ども神竜土地改良区は、大正11年2月28日の土功組合設立以来、もうすぐ100周年を迎えることとなりました。

現在、創立100年史の編さん作業を行っているところですが、当区は昭和16年の事務所火災により古い資料や写真の大半を焼失してしまいました。

もし皆様のところに当区に係る古い資料や写真などがございましたらお手数ですがご一報頂きたく、100年史資料の収集にご協力をお願いいたします。

ご連絡は☎0164-24-2611 総務課内 100年史編さん事務局 まで

 

・上の写真は、土功組合を創立して間もなく、石狩川から水を引く灌漑(かんがい)事業に挑んだ方々の写真。(昭和元年頃 前列:理事ほか 後列:職員)当時の若手の技術職員は、胸に“神龍土功組合”と印の入った印半纏(しるしばんてん)を羽織っていたことが分かります。(後列左:江戸時代の火消しの方みたいな粋な出で立ちです。)もしかしたら、ご存じの方が写っているかもしれません。

・写真中央の人物は初代主任技師の小岩春治氏。ここで氏が残した軌跡を紹介したい。

「まごころ」(脇坂銃三著 平成8年出版)によると、氏は、岩手県西磐井郡中里村の地に生まれ、高等小学校を卒業後、個人の塾で漢字、数学などを学び、河川測量や台湾での土地調査などに携わる。その後、北海道に移り、当時の札幌水力電気株式会社(道内最古となる定山渓発電所を手掛けられた会社)で道内の発電事業に数多く携わりながら、土木と水力発電の技術を習得する。

その後、北海道庁に技術者として招かれ、大正2年からは深川土功組合(現:深川土地改良区)の灌漑工事に技師として招聘されると、ここで初めて土地改良事業に関わることとなり、大正12年からは弊区前身組織である神龍土功組合の主任技師として招かれ、本地域における灌漑用水設計の陣頭指揮を執ることとなる。

氏が幾多の検討を重ね、設計した当地域における灌漑用水の基本構想は、現在もほぼその原形を残し承継されている。なかでも、水車タービンを動力として水を汲み上げる”7丁目揚水機(別称:無動力ポンプ)”は、当時の電力調達が極めて困難な時代の中、当時主流であった石炭による蒸気機関を動力とした揚水方式ではなく、自身が水力発電事業で培った経験を活かして、水車タービンによる動力で揚水する方式を採用したものであるが、自然エネルギーの有効活用や、温室効果ガスの削減があらためて注目されるようになった今日において、1世紀も前にこれらの技術を採用した氏の識見の高さは特筆すべきものであろう。

弊区灌漑事業の竣工をみると、氏の高い技術と経験を求める声が各地から巻き起こり、南長沼土功組合(現:ながぬま土地改良区)、空知土功組合(現:空知土地改良区)、聖代土功組合(現:旭川土地改良区)でその手腕を発揮することとなる。しかしながら惜しくも昭和13年3月、50歳という若さで聖台の地にてその生涯を終えることとなる。

 

・下の写真2枚は、石狩川横断湾管(逆サイフォン)工事の様子。農村部に電力が供給されるには程遠く、今のように建設機械など無く、ほとんどが人の手に頼らざるを得ない時代。想像を絶する命懸けの作業であったことがこの写真からも伺い知ることができます。

何れも大正14年から昭和元年に撮られた大変貴重な写真です。

(資料提供・・・横須賀市 藤崎様 ありがとうございます!)